HISTORY

未知の国、アメリカへ

未知の国、アメリカへ

私のキャリアのスタートは、出版社でのファッション系雑誌の編集でした。
その職場は、当時としては珍しく、編集長をはじめ社員のほとんどが女性で、働く姿勢を学んだ場所。
将来は、雑誌の編集長、あるいはその会社のパリ支局で働くのもいいかも、とぼんやりと思い描いていました。

そんなある日、結婚3年目になる夫から人生を変える衝撃の一言を聞きました。「転勤が決まった。
アメリカのロサンゼルスで、長期滞在になりそうなんだ」ーーー。
耳を疑いました。というのも、当時夫が勤めていた会社は、海外支社があるわけでもなく、外転勤があるとは
全く思っていなかったからです。

国内転勤であれば、別居してそれぞれの仕事をして、休日に会いに行くという方法もあります。
職場の女性にも、そのような人はいました。しかし遠い異国となると話は別。
1年くらいなら休職にもできましたが、長期滞在なので、一緒に行くなら仕事は辞めるしかない状況でした。

好きで初めた仕事だけに、心残りはあります。しかし、未知の国であるアメリカでの生活に言いようのない
魅力を感じてもいました。
また、漠然とですが「アメリカで新しいことを始め、仕事にしたい」という気持ちもありました。

海外旅行すらしたことのなかった私が、なぜそんな気持ちになれたのか。良く言えば「前向き」、
悪く言えば「ノーテンキ」なのでしょうね。
この性格は、現在に至るまで、さまざまな行動の原動力になっています。

出発前半年くらいの間に、一つ悲しい出来事があったこともお話しします。
それは初めての妊娠、そして流産です。
いろいろなことが起こりすぎて、出発時は、心身ともに疲れ果てた状態でもありました。

出発の日、成田空港から飛び立ったパンナム機(かつてあったPan American航空の飛行機)の窓から、
遠ざかっていく日本を見ると、まるで、小さな箱庭のよう。
美しくも「とうとう旅立ってしまった、もうしばらくは帰れない」と感傷的にさせられる光景でした。
見えなくなるまで眺めていたのを思い出します。

何気ない休日に運命の出会い

何気ない休日に運命の出会い

ロサンゼルスは、真夏の太陽がギラギラして、パームツリーが美しい街。まずは生活に慣れること、
とくに言葉を身に着けることを中心に生活を始めました。初めての専業主婦でもありますから、
たっぷりある平日昼間の時間、年会費20ドルくらいで参加できる語学サークルを見つけて通いました。

そのサークルは、リタイアした元教師が先生になり、テキストもなく、先生が決めたその日のテーマにそって、
生徒が輪になって英語で会話するというもの。
英語については、目覚ましい成果というわけではなかったかもしれませんが、スイス人の女の子と
友達になって、遊びと英会話の習得の一石二鳥で楽しく学んでいきました。

そして、休日は夫と一緒に映画かゴルフ。アメリカは、映画の料金も、ゴルフのプレー費も日本より
うんと安く、お金のない若い夫婦にとって気軽な娯楽だったのです。

日本人がはじめて海外生活するとき、部屋に閉じこもってしまったり、ふさぎ込んでしまう人が
多いようですね。私も渡米前後、いろいろな方に「大丈夫?」と心配されましたが、
実際はほとんど悩みもなく、楽しい毎日。やっぱり「ノーテンキ」なのでしょうか。

しかし心に引っかかることも一つ。それは「アメリカで新しいことを始めて、仕事にする」という希望は、
めどが立たないまま日が過ぎていったことです。
宝石鑑定士やジュエリーデザイナーを目指そうか、と考え勉強した時期もありましたが、しっくりこず、
長くは続きませんでした。

運命の出会いは突然でした。いつものように休日に映画館へ。そこで『狼男アメリカン』という映画を
観たとき、スクリーンに思わずくぎ付けになりました。
ご存知だと思いますが、数ある「狼男」の映画は、人間が狼に変身するシーンが見どころ。その映画では、
CGのない時代に特殊メイクで、人間の顔が狼に変わっていく斬新な表現がありました。
「どうすればこんなシーンが作れるのだろう」という興味が「私もこれをやってみたい!」という気持ちに
変わるのに、そう時間はかかりませんでした。