アメリカンドリーム | 株式会社メイクアップディメンションズ
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第二章 アメリカンドリーム(1979年~1986年 後編)
憧れのリック・べイカー氏と共に
思い返しても本当に夢中で働いていたあの頃。映像に関係する仕事で、特殊メイクに少しでも近い仕事ならマスク作り、ボディスーツ作り等なんでもどんな仕事でも面白かったように思う。帰国前の1年足らずはリック・ベイカー氏の工房で仕事をさせてもらった。自分が特殊メイクの仕事を始める切っ掛けになった映画、あの狼男の変身をクリエイトした人がリック・べイカーその人なのですから、その工房で働きたいと強く望んでいた私は念願かなって、天にも昇るような気持ちでした。でも、簡単にその日を迎えた訳ではありませんでした。
初めて作品集を見せた時から半年くらいして、『ゴーストバスターズ』のマシュマロマン製作スタッフとして働いていた時(写真右)、リック・ベイカー氏の方から仕事場を見学にやって来ました。自分に会いに来てくれ た訳ではないけれど、なんかチャンス到来とばかり仕事ぶりをアピール。この時にはしっかり名前も憶えていてくれたので、次回は是非、一緒に仕事させてほしいと伝える。マシュマロマンが終わったら、すぐさま訪ねようと思っていた のに、そのマシュマロマン製作中に妊娠に気づき、撮影終了後は、しばらく仕事を休みにして出産にそなえる事にしました。仕事から離れる不安はなかったと言うと嘘になるが、結婚7年目、一度目は流産しているし、無事に出産することを優先しました。休んでからは、その頃流行っていた「ラマーズ法」の教室に通い、呼吸法などを学び、無事に長女を出産。ロサンゼルス・オリンピックが開催された年でした。

「ゴーストバスターズ」の仲間達

出産、そして帰国
出産後は、そのまま7ヶ月くらいは休んで子育てに専念しました。ベイビーのリズム体操や水泳教室などいろいろ親子で体験し、結構楽しく過ごしました。しかし、いつ日本へ帰る事になるかもわからない(夫はサラリーマン、いつ帰国命令があるかもしれない。その時点で、すでに5年半くらい滞在していた。)目標のリック氏の工房に後少しというところだったし、そろそろ仕事を再開したいなと思い始めたその頃、本当にタイミングよく仕事仲間のビルから電話で新しい仕事の依頼が舞い込む。それが「キャプテンEO」。その仕事の終わる前にリックのところへ再々度チャレンジ。「三度目の正直」よろしくやっと出入りを許可され、ビルの仕事が終わり次第参加。仕事は同じ「キャプテンEO]の中に出て来るファズボールというかわ いいクリーチャーの毛を植える ことからスタート、別の映画「ラットボーイ」も同時進行で手伝っていた。その工房で知り合った仕事仲間の情報で、ディック・ スミス氏のプロの為の通信教育を受講しながら、小さい娘はベビーシッターに預け、スケジュール調整に四苦八苦しながらも、仕事を続けることが出来ました。そしてついに帰国することに。もう少しアメリカで仕事を続けたい気持ちもなかったわけではありませんが、日本へ帰っても、まあどうにかなるだろうと約7年間のアメリカ生活にさよならを告げました。